294572 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

顕正会の誤りについて

顕正会の誤りについて

平成5年 教師補任式の砌

   御法主日顕上人猊下御説法
     無量義経説法品
                            平成五年四月二十七日
                            教師補任式の砌
                            於 総本山大客殿

『無量義経説法品』にのたまわく、

 「我先に道場菩提樹下に端坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。仏眼を以って一切の諸法を観ずるに、宣説すべからず。所以は云何、諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと方便力を以ってす。四十余年には未だ真実を顕さず。是の故に衆生の得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを得ず。
 善男子、法は譬えば水の能く垢穢を洗うに、若しは井、若しは池、若しは江、若しは河、渓、渠、大海、皆悉く能く諸有の垢穢を洗うが如く、其の法水も亦復是の如し、能く衆生の諸の煩悩の垢を洗う。
 善男子、水の性は是れ一なれども江、河、井、池、渓、渠、大海、各各別異なり。其の法性も亦復是の如し、塵労を洗除すること等しくして差別なけれども、三法、四果、二道不一なり。
 善男子、水は倶に洗うと雖も而も井は池に非ず、池は江河に非ず、渓渠は海に非ず。
 如来世雄の法に於いて自在なるが如く、所説の諸法も亦復是の如し、初、中、後の説、皆能く衆生の煩悩を洗除すれども、而も初は中に非ず、而も中は後に非ず。初、中、後の説、文辞一なりと雖も而も義各異なり」(開結八八ページ)
                              (題 目 三 唱)

 本年度教師補任式は、説頭以下二十六名によって行われまして、昨日と本日の両日にわたり、これが滞りなく修せられた次第であります。

 有縁の皆様にも多数御参詣になり、新説者の講題に基づく真剣な研鑚の発表を聞かれて、それぞれ得るところがおありになったことと思うのであります。

 寿量品の自我偈に、

  「常説法教化 無数億衆生 令入於仏道(常に法を説いて 無数億の衆生を教化して仏道に入らしむ)」(開結五〇六ページ)

と説かれてありますが、これは教主釈尊が、五百塵点劫以来の絶えざる本仏の化導・説法をお示しになっておる文であります。しかるに、その仏の弟子としての僧侶もまた、仏の導きに従って道を学び、分々に法を説いていくということが、そこに課せられた使命であります。

 僧は特に、報恩をもって事といたします。すなわち、三宝に対する報恩、父母に対する報恩、国主ないし一切衆生に対しての報恩が大切であります。その衆生の恩を報ずるためにも、自分が仏道を修行して、その学び得たところをもって一生をかけて多くの人々に法を説いていくということが、僧に与えられた使命であります。

 しかも、そのなかにおいて、本宗は特に末法下種の仏たる宗祖大聖人様を本仏と仰ぎ、その教えを世界中に弘めていくところの使命を一人ひとりの僧が持っておるのであります。本年もまた、二十六名の僧侶が正規の立場において高座説法を許され、これからさらなる勉学を元といたしまして、一人ひとりが衆生を導くところの僧の使命を全うする次第であります。

 そのような点から、各位が与えられた講題について真剣に研鑚をし、その一分を昨日と本日において発表したわけであります。それぞれが真剣に課題に取り組んでおりまして、実際に研鑚をした内容、すなわち、宗務院教学部に提出をし、私の手元にまいりました論文の内容においては、さらに広く深く説いてありました。しかし、この高座説法においては時間の関係上、その一分を述べたに過ぎないようにも思いますが、それぞれが研鑚内容の要点を取ってきちんと述べておったようであります。したがって、講読の内容において疑問を生ぜしむるような者は一人もなく、すべてが立派に講題に対する内容の要点を束ねた法を説いておったと思うのであります。

 それについてはまた、のちにおいて感ずるところを少しばかり申し上げたいと思いますが、その前に後座といたしまして、ただいま拝読をした無量義経説法品の文について少々申し上げたいと思います。

 ただいま拝読した御文のなかで、仏様が仏眼をもって一切の諸法を観ぜられるときに、まことに難しくてなかなか説くことができない、すなわち「宣説すべからず」と言われております。その理由としては、衆生の「性欲」いわゆる考え方がまちまちであることを仰せです。つまり、男と女、貧しい人と富んでおる人、あるいは愚かな人と腎い人等、千万の衆生がいれば千万の機根がありますので、それぞれの機根に対応して宣説するということが非常に難しいのであります。

 しかし、仏様は仏知・仏見の上から、その難しいところの対機説法ということを、四十余年間という長い間、様々にお説さになりました。それが「衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき」と示されるところであります。

 ただし、仏様は、「種種に法を説くこと方便力を以ってす」と仰せになり、「四十余年には未だ真実を顕さず」と言われております。

 さて、この無量義経において、四十余年間の化導はことごとく「一法」から生じたのであるということを、まずお示しになりました。ただし、その一法とは何であるかということは、無量義経にははっきりとお示しになっておりません。

 その一法とは、無量義経のあとに法華経が説かれておりますが、その法華経の方便品に、

  「正直に方便を捨てて 但無上の道を説く」(開結一八九ページ)

と示されるところであります。つまり、「無上の道」とはただ一つの法であり、その一つの法のなかにすべてが篭もっておるわけであります。したがって、その一つの法を正しく信じ、行じていくならば、たとえ機根に異なりがあっても、すべての人が一仏乗という最高の道を得ることができるということを無量義経から法華経において示されておるのであります。

 我々凡夫は色々な考えを持っておりますが、それは仏法からいうなれば迷いが主体となっております。その凡夫である民衆の考えを仏様の教えによって浄化して初めて、多くの民衆が本当の幸せを得ることができるのであります。

 ところが、考え違いをする人は、民衆という数の多いほうを中心と考えて、ややもすれば仏様の知見を蔑ろにし、軽視することがあります。このように申し上げると、「そんなことはないだろう。だれでも仏様の教えを中心としていくのではないか」と思われるかも知れませんが、実はそうではありません。かなり仏法を信仰した人でも、我見・我慢によって、あるいは様々な過去からの罪障・因縁によって大きな考え違いをすることがあるのであります

 このことについて申し上げれば、爾前経は衆生の心に応じて説かれたのであるから、あくまでこれは衆生の心が主体となった御説法である。それが法華経以前の爾前経、いわゆる四十余年間の様々な教えであります。それに対して法華経は、衆生を導くために仏の悟りをそのまま素直に、正直に説いたのである。つまり、「正直に方便を捨てて 但無上の道を説く」と示される所以であります。

 そのところにおいて、能開・所開という区別があります。能開ということは、一切の教えを究竟のところに開くこと、すなわち、最上の幸福である成仏の道を能く開くところの教えという意味であり、その開かれる教えを所開と申します。すなわち、能開の教えが法華経であり、それに対して爾前経は所開である。この能開と所開をはっきりと弁えて一代の経教を見なければなりません。それをうっかりして、所開のお経のほうに能開の考え方を入れるならば、大きな誤りとなってしまいます。

 また、別の語として「摧尊入卑」ということがあります。これが今の世の中の宗教の考え方のなかに充満しておりますが、「摧尊入卑」というのは「尊きを摧いて卑しきに入れる」ということで、天地転倒した誤った考えであります。一切の邪宗教といわれるところのものは、すべてがこの誤りのなかに堕ちておるといえます。

 さらにまた、最近の創価学会等において指摘される誤りも、よく検討してその誤りの在り方を見極めていきますと、「摧尊入卑」が至るところに存するのであります。例えば最近の創価学会で説くところの本尊論や戒壇論のなかには、尊い大聖人様の大法を自分達の我見によって卑しきのなかに入れておるという謗法の姿があります。これらを我々ははっきりと考え、正法正義を正しく護るとともに、この邪義を打ち破っていくことが肝要であります。

 あるいは「民衆中心」ということを言いますけれども、民衆中心という考え方自体が既に機根に執われておるのです。大聖人様は、

  「機に随って法を説くと申すは大なる僻見なり」
                      (新定二―一二四七ページ・全集二六七ページ)

と仰せでありますが、機を仏の心に随えるのが法華経の教えであります。それを、機に随って法を説くのであれば爾前経と同じであり、そこに創価学会の狂乱の一つの原因があります。

 したがって、筋目を立てて法を考え、法を正しく護っていくことが肝要であると思うのであります。

 さて、先程も申しましたとおり、二十六名の説者は実によく研学しており、私として指摘するところはほとんどありません。しかしながら、法門の内容において多少の補足という意味で少々述べたいと思います。

 「本門の題目」については説者もよく述べておりましたが、もちろん題目は「信」と「行」のところに存するわけであります。このことは日寛上人が御書の上からきちっとお示しになっておりますが、この「信」ということは法華経を信ずることであり、法華経を信ずるということはすなわち、衆生をして仏知見を開かしめんと欲するという仏の真実の悟り、また、その大慈悲を信ずることである。それはすなわち、我々九界の迷いの命が直ちに仏界であるという、いわゆる「九界即仏界」ということが法華経を信ずること、また、御本尊を信ずることに当たるのであります。つまり、我々が御本尊を信じ、妙法蓮華経を信じ奉ることは、我々の命がそのまま御本尊の当体であるということを仏様が大慈悲をもってお示しくださっておるのであり、いわゆる「九界即仏界」であるということです。

 それに対して「行」の題目、すなわち南無妙法蓮華経と唱え奉ることは、御本尊の当体が自分の命として顕現するところの大きな功徳が、そこに直ちに生ずるのである。すなわち、行の題目はそのまま「仏界即九界」という大利益が存するのであります。そこに「九界即仏界・仏界即九界」の、いわゆる十界互具をもって真の事の一念三千が成就するという所以であります。このようなところも、もう少しきちんと話をしてもらうとよかったかと思うのであります。

 それから、「本門の戒壇」についてもまことに上手に説いておりました。要するに、『三大秘法抄』の戒壇の御文は到底、新説者等の立場においては説くべきでないという自覚に立ったと思われますけれども、日達上人の御指南、それから、私のある時期に言っていたことを述べて終わったようであります。そういうように自らの立場をよく考えて述べることも、これはまことに結構だと思います。

 そのなかで、『三大秘法抄』の系年について「弘安四年」と言ったように私は聞いたのです。あるいは「弘安五年」と言ったのかも知れませんが、弘安四年では間違いであります。これまで発刊されているあらゆる御書、それから創価学会員等の持っている「御書全集」も全部、弘安四年になっております。しかし、これは弘安五年が本当であります。

 この『三大秘法抄』は御真書が残っておりません。これについて、特にコンピュータによるところの科学的研究によって『三大秘法抄』は真書であるというようなことを最近の学者が言い出しているようですけれども、日蓮正宗においては昔から、たとえ御真筆がなくとも御真書に決まっておるのであります。

 それはともかく、『三大秘法抄』は御真書が残っておりませんので、書写本でこれを見てまいりました。そのなかで一番古いと思われていたのが久遠成院日親という人が書写したといわれる書写本で、これは現在、京都の本法寺に蔵されていると思われますが、これが、嘉吉二年(一四四二年)の書写本であります。しかし、先年、本宗の書庫のなかから第六世日時上人が応永四年(一三九七年)に書写された写本が発見されました。これは、嘉吉二年の久遠成院日親の書写本、いわゆる鐺冠り日親ですが、その写本よりも四十五年ほど古いということになります。その御先師御書写の『三大秘法抄』において、「弘安五年」とはっきりお書きになってあるのです。

 また、

  「此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加ふべし。其の後は何と悔ゆとも叶ふまじきと存ずる間貴辺に対し書き遺し候。一見の後は秘して他見有るべからず、口外も詮無し」(新宅三―二二八四ページ・全集一〇二三ページ)

との御文から拝しても、大聖人様の御一期の大事として、三大秘法のすべてを明らかにお示しになった御書としては、弘安五年であるべきが当然だと思われます。

 さて、『三大秘法抄』に、

  「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて云云」(新定三―二二八三ページ・全集一〇二二ページ)

とお示しでありますが、これは「事の戒壇」についての御指南であります。ただし、「事の戒壇」ということは、日寛上人が「事」と「義」を分別されておるわけでありまして、大聖人様はこの「王仏冥合」の文について、その最後の所で、

  「事の戒法と申すは是なり」(同ページ)

と御指南されておるのであります。私は、「事の戒法」という意味でこの御文全体を拝することが、これから大切な意義があろうかと考えております。

 しかし、この『三大秘法抄』の戒壇の御文は、軽々に我々如き者が「このようなことである」といって述べることは、やはり差し控えるべきかと思います。というのは、あの大学匠であられる日寛上人が、ただ「事の戒壇」と仰せになっただけで、その文々句々についてはほとんど解釈をしておられないわけであります。したがって、「戒法」というもの、すなわち、本門戒壇の大御本尊の大慈大悲が日本ないし世界の一切衆生に光被する姿をもって、我々は戒壇ということを考えていくべきであろうと思うのであります。

 しかしながら、御相伝の説法といい、また、御先師日達上人の御指南を拝しますと、そこに「本門戒壇の本尊安置の処は事の戒壇なり」という意味があります。これについて私は、法体の事において、本門戒壇の御本尊がおわします処、すなわち「事の戒壇」であると拝すべきであるかと思うのであります。

 もう一つは、『三大秘法抄』ならびに『一期弘法抄』の「広布に約したところの事の戒法の顕現たる事の戒壇」は、現在より未来にあるということだけを申し上げておきます。これが戒壇についての、我々の信解の基本と考えていいと思うのであります。

 さらにまた、先程も「摧尊入卑」ということを申しましたが、この戒壇についても池田大作なる者は、

  「戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。実質は全民衆が全大衆がしあわせになることであります。その結論として、そういう、ひとつの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立にすぎません。したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえないわけでございます」

というようなことを言っております。まことにもって馬鹿げた話であります。これはまさしく、民衆のほうが御本仏の御仏意よりも大切だと言っておるのです。ところが、民衆は導かれるほうなのであり、能開・所開でいえば所開に当たります。あくまで能開として一切の元になるのは御本仏の御仏意にあるのです。それを、大聖人様の御仏意から仰せられた戒壇建立について、「形式の形式だ、従の従だ」などと、よく凡夫が言えたものです。これは明らかに「摧尊入卑」であります。

 この「摧尊入卑」ということについては、今日、気を付けながらけじめを付けていくことが大事だと思います。

 それから、久遠本果の顕本よりさらに進んで、久遠元初の顕本が宗祖大聖人の文底の顕本であるということを多くの説者が説いておりましたが、これはまた、当然なことであります。そして、その上から「久遠元初の釈尊」の御当体について示しておる説者がかなりおりました。

 しかしまた、ある一面、久遠元初の仏様が宗祖日蓮大聖人様であらせられるということも、大聖人の御本尊の御正意から拝して当然であります。

 しからば、久遠元初の釈尊と、末法即久遠、久遠即末法の上からの、末法出現の日蓮大聖人様の久遠元初の本仏としての関係はいかにあるかといえば、これはもちろん御一人であります。

 御一人でありますけれども、その関係のけじめをいかに拝すべきかということを、ひとこと申し添えておくならば、この「釈尊」という名前は、小乗・大乗、権教・実教等、あらゆる面において示されてくるわけであります。六種の釈尊があるということを、ある説者が言っておりましたが、三蔵教、通教、別教、円教等の釈尊、あるいは法華経迹門、本門等においてそれぞれの釈尊がおわしますけれども、これはすべて、同じ釈尊であってもその内容が異なるということからすると、本門の釈尊は迹門および爾前経の釈尊よりも深く、また、本当の仏様としての意味が表れておるのであります。

 さらにまた、『総勘文抄』に、

  「釈迦如来、五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟りを開きたまふ」(新定三―二〇四二ページ・全集五六八ページ)

という大事な御文をお示しですが、この久遠元初の釈尊については、大聖人様が初めてお示しになっておるのであります。つまり、釈尊自身が示されたのは、

  「我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復倍上数(我れ本、菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず。復上の数に倍せり)」(開結五〇〇ページ)

という、本因妙の十八字の御文だけであります。しかしながら、小乗より大乗、権経より実経、迹門より本門、本門より文底というように、相対して顕れるところの仏身の終窮究竟が、大聖人様の文底の法から拝しての久遠元初の釈尊であります。

 それに対して、久遠即末法という上から末法出現の大御本尊の御当体・御内証を拝するときに、この御本尊は、南無妙法蓮華経を持たせ給う久遠元初自受用報身如来、即、日蓮大聖人様の御当体であることが明らかであります。したがって、末法即久遠の上の妙法の絶対の境界を顕されるところに、相対妙と絶対妙との区別が拝せられるのであります。

 そこにおいて、久遠元初の仏様としての「釈尊」の名称を拝するのは、まだ相対妙の上からの究極であり、『百六箇抄』の、

  「下種の今此三界の主の本迹、久遠元始の天上天下唯我独尊は日蓮是なり」
                      (新定三―二七〇九ページ・全集八六三ページ)

という御文を拝するときには、法界をもって身とし、日蓮即法界とお示しの、相対妙をすべて含んだ絶対妙の上の本仏の仏格の存することが拝せられるのであります。

 それから、「五重三段」の説者は、その最も大切な文底下種三段の、

  「在世の本門と末法の初めは一向に純円なり。但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり」(新定二―九七〇ページ・全集二四九ページ)

の御文に触れて、この文底下種の正宗たる南無妙法蓮華経が末法の流通の正体となるということを、はっきり言っておりました。この点において、たいへん結構だったと思います。

 また、『観心本尊抄』を拝しますと、過去・大通仏の法華経以来、今日の華厳・阿含・方等・般若等のあらゆる経典はことごとく、「一品二半」の序分であると示されております。もちろん、この一品二半は文底下種三段の上の一品二半でありますから、第四の本門脱益の一品二半とは大きく異なっておるわけで、いわゆる「内証の寿量品」ということを各説者が説いておったとおりであります。

 この「内証の寿量品」は、文でありますから、その文に対する義として、いわゆる能詮の寿量品に対する所詮の法体が元初本因妙の妙法蓮華経の五字であり、この五字が正宗分でありますから、それ以前のあらゆる経典はことごとくが、その体外の辺は序分となり、体内の辺は流通分となるということも、説者が説いておったようであります。

 しかし、この「彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字」ということについて、文の上から考えると、いわゆる大聖人様の御文の上から拝するならば、在世と末法の本門の異を判ずる意味があり、さらに義の上からいうならば、末法流通の正体をこの文によって示されるのである。すなわち、所詮の本因妙の南無妙法蓮華経の五字・七字が、そのまま末法に流通するところの流通分の正体であるということを、もう少しはっきりと示したならば、非常に意義が解りやすいと思うのであります。

 さらに、意の重としては、大聖人様の御出現により、末法の一切衆生即身成仏の大直道として顕されるところの本門の本尊を結成あそばされる文が、先に挙げた本尊抄の文であります。ですから、

  「其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経云云」
                       (新定二―九六八ページ・全集二四七ページ)

と仰せになる「本尊の為体」が、この妙法蓮華経の五字であるという所以であります。

 その辺をもう少しはっきりと説いてもらえればよかったというように考えるのでありますが、言うべきところはだいたい、きちんと説いておりました。この点、すべての説者に共通することといたしまして、たいへん結構と思うのであります。

 宗門は先般、その邪義たるをもって創価学会を破門いたしました。したがって、これからの広宣流布の前進は、各寺院における法華講の充実と発展に存するのであります。

 昨日と本日において、新説者二十六名の新説の儀式が行われましたが、この儀式によって高座説法の許可を得、一人前の僧侶となったのであります。そして、これからは命を受けて日本ないし世界のあらゆる所に赴任し、それぞれの地域の人々に宗祖大聖人様の大慈大悲の三大秘法の法門を説いていくとともに、在家の方々と手を取り合って正法を護持し、広宣流布に向かっていくという時代に入っておるのであります。その時代に当たり、この新説の儀式が盛大に執り行われましたが、本宗のいよいよの興隆が約束せられるものと考えまして、本当に心強く存ずるものであります。

 説者達には、この儀式を元として、さらに大聖人様の御法門、ならびに行学の二道を根本として、衆生化導ということを常に忘れずに精進をしてもらいたいと思うのであります。

 また、昨日からお集まりの聴衆の方々にも、いよいよ信行に住して、今後ともに正法護持に邁進されることをお祈りいたし、本日の後座の説法といたします。



© Rakuten Group, Inc.